鯨鐘
国の重要文化財に指定されているこの梵鐘は、かつて熊野新宮の大雄禅寺(だいゆうぜんじ)にあったものですが、延元年間(1336~1340)の争乱に陣鐘として使用され、 誤って海中に沈んでしまいました。
文明の頃(1469~1487)、漁夫に引き上げられ、 赤松氏の居城であった置塩城に送られていたものを英賀城主がこれを請うて英賀神社に奉納しました。
銘文には第37代熊野別当定有(じょうゆう)が、河内氏の「光吉」に命じて正中2年(1325年)に、つくらせたものであることが記されています。
境内に釣り下げられていた頃
銅碗銘
英賀神社にある文化財のひとつで、天文十一年(1542年)に つくられたもので、三器あります。
(お椀の刻印からも天文十一年であることが伺えます。)
手水鉢
この手水鉢(ちょうずばち)は、寛文7年(1667年)につくられたものです。
ちなみに、江戸幕府四代将軍、徳川家綱の頃です。
手水鉢とは、元来、神前、仏前で口をすすぎ、身を清めるための水を確保するための器をさします。
その後茶の湯にも取り入れられ、露地の中に置かれるようになり、つくばいと呼ばれる独特の様式を形成していきました。