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英賀神社の歴史

御祭神  英賀彦神・英賀姫神・天満天神・春日大神・八幡大神

御神徳  創業・経営・夫婦和合・学業成就・厄除・商売繁盛・家内安全

御神木  竹柏(なぎ)樹齢千年以上(天然記念物指定)

摂末社  琴平社・塩釜社・一宮社・恵比須社・厳島社

 英賀神社があります、この播磨地方は瀬戸内海に面し、古くから交易路として万葉時代をさらに遡り、畿内と九州を結ぶ交通の要衝として、海上交通や海での生活も盛んであったと思われます。

さて当神社は「国史見在社」であり、主祭神である英賀彦神と英賀姫神は、奈良時代の地誌である『播磨国風土記』に「英賀里(土中の上)右英賀と称えるは、伊和大神の子、阿賀比古・阿賀比売二柱、此処に在しき、故れ神の名によりて里の名と為す」と記載があり、その創建は遠く神代にある。

平安時代の国史である『三代実録』にも「陽成天皇元慶五年五月五日播磨国正六位上、英賀彦神・英賀姫神に並に従五位下を授く」とあります。又、当時の国府の公簿『国内神名帳』には「英賀彦明神・英賀姫明神を併せて更に英賀国主明神の尊称を奉り、国司の奉斉厳修を極めた」と記載されており、古くより朝廷の尊崇篤く、播磨地方の屈指の大社であったことがうかがえる。また神名が元になっている非常に珍しい地名であり歴史の古さを物語っている。

英賀彦姫二柱ご夫婦は御祖神伊和大神の播磨御経営に当たり、英賀の地を拠点として播磨灘沿岸地域を開拓創始し英賀国を創り固め成したとあり、ゆえに夫婦和合・創業経営の神として御神徳あらたかである。

室町時代の初期には三木右馬頭越智通近が英賀城主となり、城郭(英賀岩繋城)とともに大いに整備拡張し、またその尊信するところの太子黒岡山より天満宮(菅原道真公)を奉遷し英賀天満宮と称した。[嘉吉3年9月18日に奉遷 ]天正8年2月、羽柴(豊臣)秀吉の中国攻めに際し残念ながら落城し、城とともに戦火に消えることとなったが、氏子の敬神篤く社殿復興し、明治維新の社格制定に当たっては、いち早く県社に列せられて播磨の大社としての面目を保ち、その後、現在の氏子並に崇敬者の敬神の至誠と愛郷の団結により今日に至っています。秋季例大祭(秋祭り)には氏子町18台の屋台が集まり、2町の獅子舞が華麗に奉納される。

昭和10年~25年頃の英賀神社の風景
今は無き「根上り松」
《幹周3.50m 樹高24m/枯死》

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